ノルマンディー王家の血みどろ内ゲバ!イングランド20年内戦のヤバすぎた末路

挿話
知らなかった。イングランドでは、ウィリアム征服王の孫にあたるマティルダ皇女とスティーブン王がイングランドの王位を争い、20年にも及ぶ内戦が起きていた。

どんな話題?

イギリスって内戦好き? まるで日常茶飯事だったみたい。 なんと、ほぼ50~80年周期で内戦が勃発してたんだとか! 原因は色々あるみたいだけど、ザックリ言うと「王様が子供」「王様がヤバい奴」「王様が女の人」「王様が嫌われ者」「王位継承で揉める」のどれかに当てはまると、内戦一直線だったらしい。 特に「無政府時代(The Anarchy)」って呼ばれる時代は、響きからしてもうヤバい。とにかくめちゃくちゃだったみたいで、「神様も天使も寝ていた」なんて言葉が残ってるくらい。 先日、中世ヨーロッパ史に詳しい友人(自称)が、当時の様子を再現したジオラマを見せてくれたんだけど、村人が「もう田植えさせてくれ~!」って叫んでるシーンがあって、思わず笑っちゃった。ちなみに、彼はその時代の騎士になりきって生活しているらしい。鎧がゴツゴツうるさいけど、話は面白いんだよね。

イメージ画像 12世紀、ウィリアム征服王の孫、マティルダとスティーブン王がイングランド王位を争い、20年に及ぶ内戦を引き起こした。

みんなの反応


> イングランドは20年間内戦してた
無政府時代(アナーキー)、薔薇戦争、恩寵の巡礼、モンマスの反乱、モンフォートの戦争、三王国戦争、名誉革命、それに忘れたのを含めるとまだ1ダースくらいあるな。
フィクションだけど、この時代はケン・フォレットの「大聖堂」で描かれてるよ。2010年にはTVミニシリーズにもなった。
「無政府時代(THE ANARCHY)」って名前、マジかっこよすぎだろ!
ホリブル・ヒストリーズが、ABBA風に無政府時代をまとめた歌を作ってる。俺のお気に入りの曲の一つだ。
ちなみに、彼女がマティルダ皇妃って呼ばれてるのは、以前に神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世と結婚してたから(死別)。無政府時代にはイングランドの大部分を支配してたけど、正式にイングランド女王になったことはなくて、「イングランドの女領主(domina Anglorum)」って称号だったんだと。
神と天使が眠ってた時代。
スティーブン王は文章書くの好きだったのかな…
つまり…イギリスにアナーキーがあったってこと?
ジョージ・R・R・マーティンの「炎と血」と「ハウス・オブ・ザ・ドラゴン」の「竜の舞」に大きく影響を与えてる。
俺はカドフェルを通して知った。
その頃、農民たちは「もう畑仕事に戻らせてくれよ…」って思ってたんだろうな。
「人々は公然と、キリストとその聖人たちは眠っていると言った」。
最近「炎と血」(ハウス・オブ・ザ・ドラゴンの元ネタ)を読んだんだけど、マジで「竜の舞」が「無政府時代(マティルダとスティーブンの戦争)」にめっちゃ影響受けてるのがよくわかる。ゲーム・オブ・スローンズが薔薇戦争をベースにしてるのと同じ。もう隠す気もないくらい、ほぼ同じストーリー。
マティルダ自身は王冠を奪えなかったけど、息子の代でスティーブンの息子じゃなくて、自分の息子が王位を継承したから、最終的には笑ったってことだな。
ニヤニヤ
そうそう!この戦争は「氷と炎の歌」の伝承における「竜の舞」のインスピレーションにもなってるんだよ。
ハウス・オブ・ザ・ドラゴンを見た人もいるんだな、ハハハ。

アナーキー:英国暗黒時代の内戦

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イングランド史における「イングランド内戦」と、それに伴う「アナーキー」は、12世紀中頃の約20年間(1135年-1154年)に及ぶ、国を二分する深刻な混乱期でした。この時期は、単なる権力闘争にとどまらず、社会、経済、文化のあらゆる面に大きな影響を与え、イングランドのその後の歴史を方向づける重要な転換点となりました。今回は、統計的な裏付けと独自の視点を加え、この「アナーキー」と呼ばれる時代の実態を詳細に解説します。

事の発端は、ヘンリー1世の急死です。ヘンリー1世は、自身の息子であるウィリアムを跡継ぎと目論んでいましたが、ウィリアムは不慮の事故で亡くなってしまいます。そこでヘンリー1世は、娘のマティルダを後継者として指名しました。しかし、当時のイングランドにおいては、女性が国王として即位するという前例がなかったため、王位継承権を巡る争いが勃発します。マティルダに対抗したのは、ヘンリー1世の甥であるスティーブンでした。スティーブンは、その素早い行動力で王位を奪取し、戴冠式を強行します。

スティーブンの即位後、マティルダは自身の王位継承権を主張し、内戦が勃発します。内戦は、支持勢力も地域によって分断され、国全体が戦場と化しました。この時期、各地方の領主たちは、自身の領地を守るために私兵を抱え、独自の勢力を拡大しました。国王の権威は著しく失墜し、法秩序は崩壊の一途を辿りました。当時の年代記には、「キリストは眠っていた」と記されており、人々の絶望感がいかに大きかったかが伺えます。

経済的な側面から見ると、「アナーキー」はイングランド経済に壊滅的な打撃を与えました。例えば、当時の貨幣鋳造量は、スティーブンの治世中に激減しています。これは、戦乱によって鉱山や鋳造所が破壊されたこと、そして貨幣の価値が安定しなかったことが原因と考えられます。また、農村部では、略奪や破壊行為が横行し、農地の荒廃が進みました。穀物の生産量は大幅に減少し、飢饉が発生するなど、人々の生活は極めて困窮しました。年貢の徴収も滞り、王室財政は逼迫しました。一部の地域では、人口が最大で20%減少したという推計もあり、内戦による被害の大きさがうかがえます。

アナーキー」は、社会秩序にも大きな影響を与えました。法秩序の崩壊は、盗賊や無法者の横行を招き、人々の生活は常に危険にさらされました。各地の領主たちは、自身の領地を守るために、新たに城砦を築き、私兵を増強しました。これにより、地方分権化が進み、国王の権威はますます弱体化しました。教会もまた、内戦の影響を受けました。聖職者の中には、権力争いに加担する者も現れ、教会の権威も低下しました。また、宗教的な施設も略奪の対象となり、多くの貴重な文化財が失われました。

内戦は、1153年にスティーブンの息子ユースタスの死去によって転機を迎えます。スティーブンは、マティルダの息子であるヘンリー(後のヘンリー2世)を自身の後継者として認めることを条件に、和解に応じました。そして、1154年にスティーブンが死去すると、ヘンリー2世が即位し、プランタジネット朝が成立しました。ヘンリー2世は、中央集権的な国家の再建を目指し、王室の権威回復に尽力しました。彼は、法律の整備、税制の改革、軍事力の強化など、様々な政策を実行し、「アナーキー」によって荒廃したイングランドの立て直しを図りました。

イングランド内戦」と「アナーキー」は、イングランド史における暗黒時代であり、その影響は長期にわたりました。しかし、この混乱期を経て、イングランドは中央集権的な国家へと発展していくことになります。この時代は、権力闘争の悲惨さ、法秩序の重要性、そして国家の安定の尊さを私たちに教えてくれます。そして、この時代を深く理解することは、現代社会における国家の役割や社会秩序のあり方を考える上で、貴重な示唆を与えてくれるでしょう。

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