マジかよ!南北戦争後、南軍兵士2万人がブラジル移住→子孫が今も南軍旗を掲げ祭り開催www

挿話
知らなかった。南北戦争後、最大2万人の南部人がブラジルに移住した。彼らの子孫は「コンフェデラドス」と呼ばれ、今でも南軍旗や南部料理を使った祭りを開催し、アメリカの祖先を公然と受け入れている。

どんな話題?

皆さん、ブラジルに「アメリカーナ」という街があるのをご存知ですか? なんと、南北戦争後にアメリカ南部から移住した人々の末裔が作った街なんです!彼らは「コンフェデラードス」と呼ばれ、今でも南部の文化を受け継ぎ、南軍旗を掲げ、南部料理を味わうお祭りも開催しているそう。ブラジルで堂々と南軍旗を掲げられるなんて、ちょっと不思議な光景ですよね。

この「コンフェデラードス」、どうやら政治的には右派傾向が強いらしい。そして、移民してきた1875年当時、ブラジルでは奴隷制度がまだ合法だったという歴史的背景も絡み合い、なんとも複雑な気持ちになりますね。ちなみに、アメリカーナのモットーは「労働からの喜び」だとか。う~ん、皮肉が効いてるような、そうでないような…。

先日、たまたま近所のブラジル人一家とおしゃべりしていた時のこと。「うちの先祖、アメリカーナ出身なんだよね」と、彼はちょっとバツが悪そうに笑っていました。「え、あの南軍旗の?」と聞くと、「まあ、色々あるよね…」と濁されました。歴史の波に翻弄された人々の複雑な感情が、なんだかズシンと伝わってきた瞬間でした。


イメージ画像 南北戦争後、南部出身者最大2万人がブラジルへ移住。彼らの子孫は「コンフェデラードス」と呼ばれ、南軍旗や南部料理の祭りを開催し、アメリカの祖先を今も誇りに思っている。

みんなの反応


きっと40年代の新しいドイツ人隣人とはうまくいってたんだろうな。
ブラジルはアメリカの州よりも遥かに多くの奴隷を抱えてたから、まあそういうことなんだろうな。
で、彼らはポルトガル語を話すのか?
ブラジルの町は「アメリカーナ」って言うんだってよ。そこの人たちは、入植当時のアメリカ深南部訛りの英語をベースにしたアクセントでポルトガル語を話すらしい。XiaomaってYouTubeの人がインタビューしてたぞ。
子孫は「コンフェデラードス」と呼ばれてて、今でも南軍旗や南部料理のフェスティバルを開いてるんだと。彼らは自分たちの~~アメリカ~~ 南軍 の祖先を堂々と受け入れてるんだって。(en.wikipedia.org)
なんで南米って、打ちのめされた白人至上主義者を引き寄せるんだろうな?
あいつら嫌いだって伝えといて
知らなかった、面白い!
今年になって知ったわ。小さな都市くらいの人数だったんだな。地元の人たちとの交流とか拒否とかで、今じゃそれなりの規模の都市のほんのわずかな割合になってるんだって。俺的に一番注目すべきは、ジミー・カーターがジョージア州知事時代にアメリカーナを訪れて、奥さんの祖先の墓参りをしたってことだな。
あいつらだけが、南軍旗を掲げて「遺産」って言えるんだな。あいつらが作った町は、なんと「アメリカーナ」! 当然、バリバリの右翼支持者でもある。結局、ブラジルで奴隷制度が廃止されたのは1888年(あいつらが来たのは1875年)。ぷっ。
アメリカは、圧政からの自由と個人の自由を求める共通の信念によって作られた。その後、すべては南部へ向かった。
あいつら恥ずかしいね 🤧
あいつらは「Los Perdedores(負け犬)」と呼ばれるべきだ、それが彼らの正体だから 🤡
ジミー・カーターがブラジルを訪問した時の写真があるはずだよ。
反逆者の子孫は、今でも反逆者なのか?
こうして「ハリソン・アルファエテ」とか「ルス・ジャクソン」みたいな名前のブラジル人が生まれるんだな。
ナチスがアルゼンチンに逃げたみたいなもんじゃん。
そして、そのほとんどがサンパウロに移住。
おいブラジル、残りの南部の裏切り者も送っていいか?
ブラジルはあいつらのアルゼンチンってこと?
吐き気がする
メキシコに行ったやつらもいて、世界の半分(黒人アフリカ人も含む)と一緒にフランスのためにメキシコを乗っ取ろうとしたらしい。2回連続でボコボコにされたらしいけどな。
ブラジルに残ったやつは多くなかったし、出て行ったやつも多かった。アメリカーナだけが存続した唯一の入植地なんだって。2万人全員があそこに定住したわけじゃないんだよ。
あいつら一体なんなんだよ、マジで
残りの連中を送るの、まだ間に合う?
まさか、どこにでもバカがいるって言うのか?! なんてこった
地元の文化に同化しようともしないのかよ。
それはアメリカの祖先じゃない。南軍 の祖先だ。そして、彼らは祖先が何よりも人々を所有し続けることを望んだから離脱しようとしたことを祝っているんだ。
「アメリカ人」? 自分たちが人を所有するのは道徳的だが、政府に指図されるのは道徳的じゃないと考えた裏切り者。あいつらの祖先はアメリカ人じゃない。
移民っていう言葉は適切じゃないな。奴らは普通の犯罪者みたいに絞首刑にされるべきだったのに、正義から逃げたんだよ。
やっぱりな。
あいつらの子孫は、きっとアメリカに来て同化しようとしない連中に文句を言ってるんだろうな。
アメリカから公然と離脱したのに、「アメリカの祖先」を主張できるのか?
南部の人たちとはまだ気が合うんじゃないか?
なぜアルゼンチンは、こういう連中にとって魅力的だったんだろう?
「バカは直せるか?」に対する答えを知りたいなら、これを見ればいい。
ブラジル人だけど知らなかった
あいつらは反逆者だ。アメリカ合衆国ではなく、南軍を称賛している。
ブラジルが西半球で最後に奴隷制度を違法化した国だったことを考えると、納得がいくな。
権力を得るためにあらゆる同盟を厭わない独裁政権のある南米の国々に逃げる。
納得。ブラジルは1888年にイザベル皇女が「黄金法」に署名するまで、正式に奴隷制度を廃止しなかった。西半球で最後に奴隷制度を終わらせた国だったんだ。
それはブラジルで奴隷制度がまだ合法だったからじゃないよ。なぜなら、それが南軍が戦った理由じゃないから。/S
「アメリカ人」
反逆者の祖先って意味だろ

南北戦争と奴隷制:ブラジルへの南軍兵士移住

## 南北戦争後の南軍兵士ブラジル移住:Confederadosと奴隷制の遺産 「マジかよ!南北戦争後、南軍兵士2万人がブラジル移住→子孫が今も南軍旗を掲げ祭り開催www」という記事で取り上げられているように、アメリカ南北戦争終結後、敗北した**南軍兵士**の一部がブラジルに移住した現象は、歴史的に「**Confederados**」と呼ばれています。これは、単なる移民の話に留まらず、アメリカとブラジルの**奴隷制**という共通の負の遺産、そしてその後の両国の社会構造に深く根ざした複雑な問題を浮き彫りにするものです。 1865年の南北戦争終結は、アメリカにおいて**奴隷制**の廃止を意味しました。敗北した**南軍**は、失われた生活様式、つまり**奴隷制**に基づいたプランテーション経済の再建を望みました。一方、当時のブラジルは依然として**奴隷制**が合法であり、広大な土地と労働力を求めるプランテーション経営者にとって魅力的な移住先となりました。1860年代後半から1880年代にかけて、数千人の元**南軍兵士**とその家族がブラジルに移住し、サンパウロ州を中心に「**Confederados**」と呼ばれるコミュニティを形成しました。 しかし、「**Confederados**」のブラジル移住は、単なる経済的な理由だけではありません。彼らは、失われた南部社会の価値観、つまり**白人至上主義**、厳格な階級制度、そして**奴隷制**を維持することを望んでいました。ブラジル政府は当初、移民を奨励し、土地や税制面で優遇措置を与えましたが、彼らの文化的・政治的影響力は小さくありませんでした。 重要なのは、ブラジルもまた、長い間**奴隷制**に依存してきた社会だったということです。ブラジルは、アメリカよりもはるかに長い期間、そしてはるかに多くの奴隷を受け入れてきました。16世紀から19世紀にかけて、約490万人のアフリカ人がブラジルに連行され、プランテーションでの労働を強制されました。ブラジルの**奴隷制**廃止は1888年と、アメリカよりも遅く、その影響は社会のあらゆる層に深く浸透していました。 「**Confederados**」の子孫が、現在でも**南軍旗**を掲げ祭りを行っているという事実は、複雑な感情を呼び起こします。これは、単なる歴史的遺産への郷愁というよりも、**白人至上主義**や**奴隷制**の遺産を象徴するものとして捉えられる可能性があります。ブラジル社会において、**奴隷制**の記憶は依然として敏感な問題であり、人種差別や社会的不平等といった形で、その影響は今日まで残っています。 統計的に見て、**Confederados**の人口はブラジル全体の人口に占める割合はごくわずかです。しかし、彼らの存在は、ブラジルの歴史における**奴隷制**の暗い側面、そしてその遺産が現代社会に与える影響を再認識させるきっかけとなります。**Confederados**の存在は、過去の歴史を忘れず、人種差別や不平等と闘うことの重要性を教えてくれます。より深く理解するためには、ブラジルの**奴隷制**の歴史、アメリカ南北戦争後の南部社会の状況、そして移民の社会・文化的影響について、さらに学ぶことが重要です。

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