どんな話題?

1979年、イスラム教の聖地、サウジアラビアのメッカ大モスクが、ジュハイマン・アル=オタイビ率いる武装勢力によって占拠されるという前代未聞の事件が発生しました。
彼らは自らを「イフワーン」と名乗り、サウード王家が西側諸国との同盟を結び、世俗主義を導入していることを批判。人質を取り、マフディー(救世主)の出現を宣言し、蜂起を呼びかけました。
事態を重く見たサウジ政府は、フランスに支援を要請。フランスの対テロ部隊が、イスラム教への改宗後、特殊な催涙ガスを提供し、サウジ軍がモスク内部に突入。2週間にわたる戦闘の末、鎮圧に成功しました。
事件後、サウジ国内ではより厳格なイスラム法が施行され、宗教警察の権限が強化されました。イランのホメイニ師がアメリカとイスラエルが事件を画策したと主張したことで、反米暴動が多発する事態も引き起こしました。
まるで、あの時TV画面に映る砂漠の風景が、ざらざらとしたノイズで歪んでいたみたいだ。ニュースキャスターの深刻な表情と、繰り返される「メッカ」「占拠」という単語だけが、妙に記憶に残っている。

みんなの反応
当時のサウジにはテロ対策部隊が十分じゃなかったから、フランスにテロリスト鎮圧の助けを求めたんだな。
イスラム主義者がイスラムの聖地を攻撃って、**よくあるパターン**じゃん。
**グランド・モスク占拠事件**は、1979年11月20日から12月4日まで、サウジアラビアのメッカにあるイスラム教の聖地、メッカのグランド・モスクで発生した。攻撃は、ウタイバ族出身で、サウジ王政に反対するサウジのイスラム主義者、ジュハイマン・アル=オタイビが率いる最大600人の過激派によって実行された。反乱軍は、20世紀初頭のサウジ国家の初期形成において役割を果たしたアラビアの民兵を参照して、自身らを「アル・イフワーン」(アラビア語:الإخوان)と名乗った。学者は彼らを「ジュハイマンのイフワーン」と呼んでいる。
これだけ大規模な事件なのに、ほとんど語られないなんてクレイジーだな。包囲は2週間続き、モスクを奪還するために外国の助けが必要だったんだぜ。
こんな聖地で、しかも厳重に警備されてる場所でこんなことが起こったなんて全く知らなかった。当時はマジでカオスだったんだろうな。
> グルプ・ディンテルベンション・ドゥ・ラ・ジャンダーメリ・ナショナル(GIGN)のフランスのコマンドー3人のチームがメッカに到着した。非イスラム教徒が聖地に入ることは禁じられているため、彼らは簡単な正式な儀式でイスラム教に改宗した。コマンドーは地下の部屋にガスを送り込んだが、部屋は非常に不可解に相互接続されていたためか、ガスは効かず、抵抗は続いた。死傷者が増える中、サウジ軍は中庭に穴を開け、下の部屋に手榴弾を投げ込み、無差別に多くの人質を殺害したが、残りの反乱軍をより開けた場所に追い込み、そこで狙撃兵によって仕留められた。襲撃が始まってから2週間以上経って、生き残った反乱軍はついに降伏した。
しょっちゅう誰かが[マフディー](https://en.wikipedia.org/wiki/Mahdi)だって自称して、自分たちが正当だと思わない権力に対して暴力的な攻撃を仕掛けてくるんだよな。キリスト教と同じように、過激派の信者は終末思想を持ってて、今後も繰り返される可能性大。
預言者って、みんな自称じゃないの?
彼らを「保守派」と呼ぶのはちょっとミスリーディングだと思う。実際、イスラム主義は、既存の社会秩序や政治秩序を転覆させようとする**過激な目標**を持つ現代的な現象なんだよ。彼らは、昔の純粋な秩序を再現したいと主張するかもしれないけど、それはほとんどフィクション。エリートを押し退けて何か新しいものを作り出すしかないんだから。
これ、サウジ東部で大規模なシーア派の反乱が起きたのと同時期なんだよな。新ヒジュラ紀元の最初の週に東西で同時に爆発してたんだ。
預言者ってみんな自称じゃね? さっきも言ったやついるやんけ!
宗教そのものが自称じゃん。 マジレス乙
包囲は2週間続き、サウジ政府はフランスのコマンドーの助けを借りて特殊部隊を呼び寄せ、ようやくモスクを奪還した。それは現代イスラム史における最も衝撃的な事件の一つだった。
映画監督のダーク・ファン・ベルクがこのテーマについて非常に興味深い作品を作っていて、関係者へのインタビューも含まれてる。
自称預言者はマジ勘弁。 **めんどくせー**
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