黒人奴隷兵、アメリカ独立戦争でまさかの寝返り!その理由が衝撃的すぎワロタ

挿話
アメリカ独立戦争中、イギリス軍に従軍したアフリカ系アメリカ人の数は、アメリカ軍の2倍以上だった。彼らはイギリスの勝利が奴隷解放につながると考えていたからである。

どんな話題?

アメリカ独立戦争におけるb>黒人奴隷の選択は、単純な愛国心では語れない複雑な背景があったようです。多くがイギリス軍に味方し、自由を求めた背景には、イギリスがb>ダンモア卿宣言を通じて奴隷解放を約束したことが大きく影響しています。アメリカ側の「自由」は白人のためのものであり、奴隷制存続を望む層も存在しました。そのため、自由を求める黒人にとってイギリスは、必ずしも完璧ではないにしろ、より希望のある選択肢だったのです。

戦後、イギリス軍に味方したb>黒人ロイヤリストたちは、ノバスコシアやシエラレオネへ移住。アメリカもリベリアを建国し、解放奴隷の入植地としました。それにしても、歴史ってやつは皮肉なもんですね。先日、近所の公園で鳩が群れをなしてエサを啄ばむ光景を見たんですが、まるで黒人奴隷たちが自由を求めてイギリスに味方した構図と、なんだかダブって見えてきて… ああ、歴史って、案外身近なところに潜んでいるのかも。ブツブツ。


イメージ画像 アメリカ独立戦争中、イギリス軍に加わったアフリカ系アメリカ人は、アメリカ軍の2倍以上だった。彼らはイギリスの勝利が奴隷解放につながると考えたためである。

みんなの反応


へー、ちょいと関係ある話だけど、最近知ったんだが、アメリカで最初にフリーメイソンになった黒人は、アメリカのメイソンが仲間に入れてくれなかったから、ボストンのイギリスのメイソンに入ったんだと。その人の名前がついたメイソンロッジがボストンにあるらしい(そこで昔、最初のコロナワクチン打ったわー。そんな昔でもなかったか)。
そりゃ当然だわな。「自由」のために戦ってる奴らが、お前らを奴隷のままにしておきたいなら、なんでそんな奴らのために戦うんだよって話。イギリスの自由の約束は、たとえ不完全でも、自分たちだけの自由を考えてる奴らの下にいるよりマシだったんだろ。
「黒人ロイヤリスト」って呼ばれてるんだよな。多くはノバスコシアとかシエラレオネの植民地に送られたらしいぞ。
意外と見れる映画『パトリオット』のありえない描写の一つは、イギリス兵がメル・ギブソンの農園の自由な黒人労働者を奴隷にするシーンだな。むしろ逆だろ普通。
アメリカからイギリス軍が撤退した後、多くの黒人ロイヤリストは、イギリスのために戦った解放奴隷のための植民地として、まさにシエラレオネのフリータウンを建設するために送られたんだよな。アメリカは後にリベリアのモンロビアで、フランスはガボンのリーブルヴィルで同じようなことをするんだわ。
イギリスは、戦えば自由にするって約束を守ったんだよな。アメリカはほとんどの場合、守らなかったけど。
米英戦争中に数千人の奴隷がイギリス側に逃げたんだよな。「黒人難民」ってイギリス人は呼んでたらしい。講和交渉ではそれが問題になって、中立の仲介役を務めたのはロシアのアレクサンドル1世だったと思う。イギリスは難民を返さなかったけど、賠償金を支払わなければならなかった。
はっきり言っとくと、イギリスがダンモア卿の宣言でそれを明言してたから、そういう見方が生まれたんだぞ。
彼らの気持ちを考えると、同情せざるを得ないよな。だって、その時からさらに90年も、彼らは自由になれなかったんだから。
そして彼らは正しかった。イギリスはアメリカよりもずっと前に奴隷制を廃止したからな。
へー、でも奴隷はどうやってどっちにつくか選べたんだ? 奴隷は選択の自由とか、広範囲な情報源があるわけじゃないだろ。
これは奴隷制の道徳性というよりは、戦争のロジスティクスの問題だったんだよ。
彼らは正しかった。でも負けたんだよな。
アメリカの独立は、ネイティブ・アメリカンにとってもめちゃくちゃ悪いことだったんだよな。イギリスは(ほとんどの場合)ネイティブとの条約を守り、領土をさらに拡大することにそれほど関心がなかったけど、アメリカ人は西部の土地を欲しがってたからな。
奴隷保有州が北部州に加わった主な理由は、イギリスが植民地の奴隷制を終わらせることを恐れたからだよ。
バージニアの最後の植民地総督、ジョン・マレーは、イギリスのために戦う奴隷は誰でも自由になるという宣言を出したんだよ。
ほとんど悪役がその戦争に勝ったみたいなもんだな。
俺らが負けたらどうするんだ? 俺らを奴隷にするのか?
リバティ・キッズでこの話が続いてたのを覚えてるわ。正確な詳細は覚えてないけど、兄弟が革命の反対側にいて、一人は革命のために戦う解放奴隷で、もう一人は自由を得るためにイギリス軍で働く奴隷だったんだよな。
戦争が終わったらどうなったの?
まあ… そうだよね。
そう、イギリスは奴隷制を非合法化したけど、アメリカ人はまだ奴隷制が大好きだったんだよな。考えるまでもないわ。
革命後、個々の州で奴隷制が違法になったけど、イギリスの支配下にある地域ではまだ奴隷制は違法じゃなかったんだよな。
同じような話をネイティブ・アメリカンについても聞いたことあるわ。
ネイティブ・アメリカンも似たような割合だったらしいな。植民地人は悪者扱いされてたってことだ。
イギリスは自国で1772年に、帝国全体で1807年に奴隷制を廃止した(実際には1830年代まで続いた)ことを考えると、これはアフリカ系アメリカ人にとって賢明な選択だったように思えるな。奴隷制はイギリスのほとんどの国民には決して人気がなかったし。奴隷所有と取引は常に金持ちで権力のある連中の領域だったからな。
敵の敵は味方ってやつだな。
奴隷制はこの国の最も恥ずべき遺産の一つであり、その長期的で恐ろしい影響からまだ抜け出せてすらいない。
言いたかないけど、正直言ってイギリスが勝ってた方がマシだったかもしれないな。よくそう思うわ。アメリカの最悪の行き過ぎは抑えられてたかもしれないって思わずにはいられない。でも誰にもわからないけどな。イギリス帝国も決して正義の輝かしい模範ではなかったからな。
彼らはカナダに逃れて、最悪の土地を与えられ、文明の恩恵もほとんど受けられなかったんだよな。彼らの子孫の中には、リベリアを建国した人もいるらしい。
アフリカから来た黒人奴隷はイギリス軍と共に戦ったんだよ。彼らは植民地のイギリスの奴隷だったんだからな。
アメリカが今日ある姿は、革命が失敗してた方が良かったとマジで思ってるわ。奴隷制がもっと早く終わってたのは、多くの理由の一つに過ぎないしな。
イギリスは1772年に奴隷制を廃止してるんだよな。だから理にかなってるわ。
それが結果につながったんだろうか?
歴史の本も読んでないんだな、きっと。
イギリスはアメリカが奴隷制に関与する前に奴隷制を違法にしてるんだよな。
当時、イギリスはまだ奴隷制を続けていたことを考えると、たとえイギリスが勝ったとしても、それは実現しなかっただろうな。でも、最終的には数十年早く解放されて、今は強制収容所もないだろうし、その章が違う終わり方をしていたらよかったと今でも思ってるよ。

独立戦争と奴隷制度:自由の矛盾と解放への芽

アメリカ独立戦争(American Revolution)は、単にアメリカ合衆国の誕生を告げる出来事ではありません。この戦争は、当時の大英帝国(British Empire)における奴隷制度(slavery)のあり方、そして、その後の奴隷解放運動に大きな影響を与えた複雑な歴史的転換点でもあります。一見すると矛盾するように見える「自由」を求めたアメリカ独立運動と「奴隷制度」の共存は、当時の社会構造と政治的駆け引きを理解する上で重要なポイントです。

当時のイギリスは、広大な植民地帝国を築き上げており、その経済は奴隷貿易によって支えられていました。特にカリブ海の砂糖プランテーションや、アメリカ南部におけるタバコ、綿花のプランテーションは、奴隷労働なしには成り立ちませんでした。アメリカ独立戦争前、イギリスは奴隷貿易を積極的に推進し、奴隷制度を守るための法整備も行っていました。統計を見ると、18世紀を通じてイギリス領における奴隷人口は急増しており、その経済的な依存度も高まっていました。

しかし、独立戦争が勃発すると、状況は複雑化します。バージニア植民地総督のダンモア卿は、1775年に有名な宣言を発し、反乱軍(アメリカ独立軍)側の奴隷たちに、イギリス軍に味方すれば自由を与えると約束しました。これは、独立軍の戦力を削ぐと同時に、イギリス軍の兵力を増強するための戦略的な判断でした。多くの奴隷たちは、この機会を利用して自由を手に入れるためにイギリス軍に加わりました。記事タイトルにある「黒人奴隷兵、アメリカ独立戦争でまさかの寝返り!」はこの事実を指しています。ただし、注意すべき点は、イギリス軍に加わったすべての奴隷が自由を得られたわけではないことです。戦争が終わった後、多くの奴隷はイギリス軍によって再び売られたり、別の植民地に送られたりしました。

一方、アメリカ独立軍も奴隷兵を受け入れていました。当初は奴隷の入隊を拒否していましたが、戦争の長期化と兵力不足により、徐々に方針を転換しました。ただし、アメリカ独立軍における奴隷兵の待遇は、イギリス軍よりも劣悪であった場合が多く、自由が約束されることも稀でした。

独立戦争後、アメリカ合衆国は「自由」と「平等」を謳った国として建国されましたが、奴隷制度は依然として存続しました。北部では徐々に奴隷解放が進みましたが、南部では綿花栽培の拡大とともに、奴隷制度はますます強固なものとなりました。アメリカ独立戦争は、奴隷制度を終わらせるきっかけにはなりませんでしたが、奴隷たちの抵抗意識を高め、その後の奴隷解放運動の種を蒔いたと言えるでしょう。

統計的なデータを見ると、独立戦争後もアメリカ国内の奴隷人口は増加を続けました。しかし、同時に奴隷制度廃止運動も活発化し、19世紀には南北戦争へと発展していくことになります。アメリカ独立戦争における奴隷たちの行動は、単に戦争の帰趨に影響を与えただけでなく、アメリカ社会における奴隷制度の矛盾を浮き彫りにし、その後の歴史を大きく左右した重要な要素だったのです。

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