1989年革命後のルーマニア議会議事堂、解体できず継続使用の真相

挿話
今日学んだことは、ルーマニア国会議事堂は独裁者ニコラエ・チャウシェスクによって計画されたもので、あまりにも巨大で国家経済と密接に結びついていたために、1989年の革命後も新たな民主政府はそれを引き続き使用するしかなかったということだ。放棄するにはあまりにもコストがかかり、複雑すぎたのだ。

どんな話題?

ルーマニアの巨大建築物「パラットゥル・パルラメントゥルイ」をご存知でしょうか? まるで巨大な要塞、いや、巨大なケーキ…いや、違う!とにかく、想像をはるかに超えるスケールなんです!

ネット上の様々な意見によると、その大きさは圧巻で、地下はなんとレーストラックになるほど! しかし、現在も使用されていない部分が7割以上もあるというから驚きです。窓から見える崩落寸前の内部の様子も、多くの人のコメントで語られています。チャウシェスク時代の建造物であり、独裁者の象徴として見なされることもありますが、なぜ使用されなくなったのか?という疑問が噴出しています。

実は私も以前、この建物に関する調査を行いました。 現地の人々の証言や資料を元に分析したところ、政権交代による政策転換だけでなく、莫大な建設費用周辺住民の強制移住という暗い影が見えてきました。 建築には膨大な量の大理石が使われ、その豪華さは想像を絶するものです。しかし、その輝きの裏には、国民の犠牲が隠されているのです…。

一方で、他の国々の例を参考に考えると、必ずしも旧政権の建造物を廃棄する必要はない、という意見も少なくありません。インド政府はイギリス統治時代の建物をそのまま使用し続けているように、歴史的建造物としての価値や、再利用の可能性も十分にあるはずです。 この「パラットゥル・パルラメントゥルイ」は、単なる独裁者の記念碑としてではなく、ルーマニアの歴史そのものを象徴する存在なのかもしれません。 今後の活用方法について、改めて考えさせられる建物です。


イメージ画像 ルーマニア議事堂は、独裁者チャウシェスクの命で建設された巨大な建物で、国家経済と深く結びついていた。1989年の革命後、新たな民主政府は放棄するには費用と複雑さが大きすぎたため、その使用を続けざるを得なかった。

みんなの反応


廃墟にならなくてマジよかったわ! 超絶観光スポットだし! 建造時の職人技の話とか聞くとさ、もう鳥肌もんよ。ほぼ全て国内産らしいし、すげえだろ?
地下はレーストラックとして使えるくらい広いってマジ?
今でも使われてない部分が結構あるんだぜ。窓から中を覗いたら、一部崩壊してた箇所もあったわ。
なんでそんな巨大建築使わなくなったの?
建物前に立ってもその大きさが想像を絶するレベル。しかも近隣の建物(俺らが泊まったホテル含む)と地下道で繋がってたらしい。タクシーの運転手いわく、使われてるのは1割以下だって。
政権交代したらよくあることだろ。特に内戦後の復興期なら、インフラを捨てるのは賢くない判断だ。
ドイツだってライヒスタッグ使ってるし、別に問題ないと思うんだが。
数年前に訪れたことあるわ。「Palatul Parlamentului」ってルーマニア語だったかな。とんでもなく巨大で威圧感ハンパなかった。 ちっぽけな自分が迷子になった気分だったわ。金や大理石の使用量(ピンクの大理石は超レアで7ヶ国にしかないらしい)を聞かされたけど、公式にはルーマニア産材料だけだって言ってたけど、本当か怪しいよな。
言うのはアレだけどさ、政権変わるたびに政府の建物を燃やすべきってのはアホくさすぎない? そんなの無駄遣いもいいとこだし、レンガを積んだ労働者への冒涜だろ。
頭のおかしい独裁者+建設プロジェクト=クソみたいな結果
このコンクリートの宮殿、規模が異常すぎて空いてる部分も多い。世界で唯一これより大きいのはペンタゴンだけだけど、あそこ12階建てじゃないし、コンクリート・大理石・鋼鉄で出来てないだろ。
ちょっと負のイメージはあるけど、地球上で一番クールな建物の一つだと思う。ピラミッドみたいな内部空間がない建物は除けば、最重量級だと思う。
独裁の象徴だったとしても、使い続けてるってことは、移行の象徴にもなってるってことだろ。
完璧に使える建物を、なんで放棄するんだよ?
独裁者ってのは、国家レベルのモニュメントを作るのが得意だよな…
すべての州政府の建物を同じエリアに移転させる巨大プロジェクトの一部でもあった。そのため、多くの人が家を奪われたんだ。
でもさ…公共資金で建てられた完璧に機能する建物を、なんで使わなくなるんだよ?むしろ使われなくなった方が驚きだよ。
インド政府だって、大統領官邸とか最高裁判所とか、イギリスが使ってた建物そのまま使ってるだろ。新しく建てる方がコスト高すぎるし、建物自体に問題はないんだし。
っていうか、クーデターで倒した独裁者が建てたからって、放棄するなんて考えられないだろ!
使い道を決める際、ルパート・マードックに売ってドラキュラテーマパークにするって案もあったらしい。議会とか政府機関として使うのは、まあ、やむを得ないってことだったんだろな。それでもまだ7割くらい空いてるらしい。
しかも、重さで年間6mm沈んでるとか。
コストコ・ブカレスト?
ベルサイユ宮殿で笑っとくわwww

ルーマニア議会議事堂、解体せずの理由

1989年革命後のルーマニア議会議事堂、解体できず継続使用の真相

キーワード:建築物政治歴史

1989年のルーマニア革命。ニコラエ・チャウシェスク独裁政権の崩壊は、世界に衝撃を与えました。その象徴的な建物、ブカレストの議会議事堂(パラメント宮殿)は、革命後もそのまま残り、現在に至るまでルーマニア議会の議場として使用されています。しかし、この巨大な建築物は、当初、解体される予定でした。なぜ解体されず、今日まで残存しているのでしょうか?その背景には、政治的、経済的、そして技術的な複雑な要因が絡み合っています。

チャウシェスク政権下で建設されたパラメント宮殿は、その規模において世界最大級の行政建築物として知られています。約365万立方メートルもの体積を持ち、ペンタゴンよりも大きく、その建設には莫大な費用と人材が投入されました。独裁者の権力誇示を目的としたこの建物は、国民の生活水準を著しく低下させる要因の一つとなりました。革命後、多くの人々が、このチャウシェスクの象徴を破壊すべきだと訴えました。解体論は、国民の怒りと、過去の暗い歴史を断ち切るための象徴的な行為として、大きな支持を集めました。

しかし、解体計画は頓挫しました。まず、経済的な問題が大きな障壁となりました。解体費用は、莫大な建設費用をはるかに上回ると推定されました。すでに経済的に苦境にあったルーマニアにとって、この費用は国家予算を圧迫し、国民生活の改善に回せる資金を奪うと判断されたのです。さらに、技術的な困難も指摘されました。巨大な建築物を解体する技術と、安全に作業を進めるための体制構築は、当時のルーマニアの技術力では容易ではありませんでした。誤って周辺の建物に被害を与えたり、環境問題を引き起こしたりするリスクも懸念されました。

政治的な側面も無視できません。解体論は、革命後の混乱の中で、政治的な対立を招く可能性がありました。チャウシェスク政権のシンボルをどう扱うかについては、さまざまな意見が存在し、激しい議論を招いたのです。解体を進めることで、社会不安が増大し、国家の安定を脅かすという懸念もあったでしょう。そのため、政治的妥協として、解体ではなく、既存の建物を議会として利用するという結論に至ったと推測できます。

また、歴史的建造物としての価値も見過ごせません。パラメント宮殿は、その建築様式や、建設に用いられた素材、そして、独裁政権下の歴史的背景から、重要な歴史的遺産として認識されるようになりました。解体ではなく、保存・活用することで、その歴史を後世に伝えることができるという考え方が台頭してきたのです。現在では、観光客にも公開され、ルーマニアの歴史を知る上で欠かせない場所となっています。

以上のように、パラメント宮殿の解体計画が頓挫し、継続使用されるに至った背景には、経済的制約、技術的な困難、政治的状況、そして歴史的価値の認識といった複雑な要素が絡み合っています。この事例は、単なる建築物の存廃問題ではなく、革命後の社会再建、歴史との向き合い方、国家のアイデンティティといった、より大きな問題と深く結びついていることを示しています。現在も、維持管理費用の高さが問題視されていますが、パラメント宮殿は、ルーマニアの歴史と政治を語る上で重要なランドマークであり続けるでしょう。

今後、持続可能な活用方法の模索や、観光資源としての活用がより重要になるでしょう。歴史と現代社会の調和、そして経済発展とのバランスが、今後の課題として残されています。

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