どんな話題?

墓地の横を通り過ぎる時、ふと疑問に思ったことはありませんか?「あの墓には一体どんな人が眠っているんだろう?」と。 死という現実、そして忘れ去られることへの恐怖。そんな人間の普遍的な感情を、ある墓地の看板が呼び起こす、衝撃的な投稿が話題になっています!
投稿には、墓石に刻まれた様々な銘文が紹介されています。「人は皆、死を味わう」「今、あなたがそうであるように、かつて私もそうであった。今、私がそうであるように、やがてあなたもそうなるだろう」…ゾッとするような言葉の数々。まるで、死が囁きかけてくるかのようです! 「ドキッ」とする人もいれば、「死は友だ」と前向きに捉える人も。様々な反応が飛び交い、議論は生と死、そして人生の意味へと広がっていきます。
中には、「死後、自分の墓を訪れる人はいるのだろうか?」という切実な問いかけも。 中にはユーモラスなコメントも… なんだかシュールで、でも妙に納得してしまう、そんな投稿です。 あなたなら、この「死」をテーマにした哲学的な議論にどう反応しますか? さあ、一緒に考えてみましょう!
みんなの反応
墓地通るとさ、いつも思うんだよな。ここに埋まってる人ってどんな人だったんだろう?どんな人生送って、誰を愛して、死んでから誰に惜しまれてたんだろうって。悲しい現実だけど、俺たちの大多数は死んでから 一世代 も経たずに忘れ去られるんだよな。曾祖父母が生きてるうちに会えた人って、一体どれだけいる?死んで…忘れ去られる…世界に大きな足跡残せるような人間なんて、ほんの 一握り だよ。ほとんどの人は子供たちに何かを遺せることを願うだけさ。
これ、生きた人間が作ったんだよな。
この鬱ゲーな看板の横に、「よく生きる事が最高の復讐だ」みたいな小さな看板でも置いてれば、少しはバランス取れたのにね。
メメント・モリ…
うるせーよ、死人ども!
よっしゃー!気分スッキリだわ!
死は、この星にいる全員の共通点だ。死を恐れるな。死は、狩りの終わりに君を歓迎してくれる友だ。
墓地を通るたびに、みんなにテレパシーで「元気かー?」って声かけて、愛を送ってるんだ。
げっ…また絶望が襲ってきた…。よし、医療研究の寄付でもするか。
生きてるって事がマジありがたいな。
この手の言葉で俺が一番好きなのって、フリーメーソンの古い言葉で「人生を祝い、死を悼む」ってやつだ。表裏一体だよな。
イタリアのカプチン修道院の地下納骨堂にも似たような言葉が書いてあったぜ。「今の君がかつての我々であり、今の我々が未来の君である」ってな。
ゲームが終われば王もポーンも同じ箱に入る
昔、子供の頃墓石に似たようなのを見たことあるわ。少し違うバージョンだけどな。
俺が見たバージョンだとこんな感じだったな。
通りすがりの友よ、思い起こせ
これ思い出したわ。「シャッターアイランド」の墓石の言葉。「我々を覚えていてくれ、我々も生きたし、笑ったし、愛したのだから」って。
ナダ・サーフの曲でこれを使った良い曲があるぜ
Sum quod eris, fui quod sis
ちなみに、将来は埋葬されるつもり?誰も来ないのに意味ないと思うんだけど。
トルコの墓地には、「生きとし生けるものは皆死を味わう」って大きな看板が立ってることが多いぜ。
くっそ…深すぎるし、午前3時なのに考えさせられるわ…。
最後の行がない!
メメント・モリ
中2だけど深い…。
これは凄いメメント・モリだな!
みんな経験済み。また経験するさ。
いつか死ぬのは分かってる。兄弟や親が死んだ時の心の準備は常にできてる。別に無関心ってわけじゃないけど、死が誰にでも近いってことを常に意識して、心の準備はしてる。
元気出るような素敵な詩だな!
くくっく。お笑いかよ、ゾンビ看板野郎!俺の死後3ヶ月後、たまった郵便物で発覚して、焼却されるさ。遺灰は誰にも引き取られず、どこかで捨てられるだろうな。お前は森の中に素敵な墓地があるだけマシだぜ。
ちょっと休憩したいんだけど、どうすればいい?
Tu fui, ego eris
Sum Quod Eris
去年ローマのカタコンベの中で同じ言葉を見たわ。最初は不気味だと思ったけど、畏敬の念の方が適切だな。
現実をそのまま突きつけてくるなw
柵に貼ってあるな。いつも柵がある…柵は外から入ってくるものを防ぐ。墓地の柵は中にあるものを閉じ込める…ってちょっとした神話だな。気にすんなよ。
畏敬の念じゃなくて、脅迫だな。
モラル崩壊スレッド
へへへ…自由だぜ
まさに「メメント・モリ」だな
数年前まで知らなかったんだけど、プリテンダーズの「アローン」って曲で知ったんだ。クリスシー・ハインドが古い墓石のよくある言葉を入れてるらしい。
死者のための鐘は鳴る
まあいいさ、もう少し時間が欲しいだけだ。
コメント